「相応」の圧力。
今週のお題「#平成最後の夏」
「あ、それでも今年に入って書いてたんだ。」
7か月ぶりのブログですこんにちは。
夏って、かつてのようなときめきはないんだけど(学生時代の夏って、どうしようもなくきらきらしていて、夏じゅうずうっとクラクラしてた気がするの)それでもなんとなく特別な季節。夏休みもなければ盆休みもないけど。
今年の夏はかき氷を食べてプールに行った。写真はあんまり撮ってない。
10代のころ、ハタチというより25歳にはやくなりたいなって思ってた。
ハタチは成人だけどまだ学生だろうし、25歳くらいになるといろいろ自由そうだなって思ってた。
25歳をすぎたころ、はやく35歳くらいになりたいなって思った。20代後半、まだまだいろいろ、とらわれている感じがしてたんだと思う。
その35歳が目前にせまってる今のわたしはといえば
「え、次の誕生日で36歳じゃなかったっけ。」
年齢すなわちその人が生きた足あとという意味においてはそのこともとても大事に思うんだけど、だからどうだ、だからこうだって思考が、深いところでは全くなくなった。それが誰にとってもよいことかどうかは、ちょっとわかんないけど。
ただひとつ言えるのは、人から押し付けられる「トシソウオウ」なんてクソくらえ。
見ためなら、自分の目にも心にも違和感のないものを選べばいいと思う。心にも、ですよ。
んで、目に見えないことというか、暮らしとか生き方は、ほっておいてくださいとしか言いようがない。