DIVAになりたい。

ど田舎会社員。マンションか別荘がほしい

つめたつめたの

お題「どうしても言いたい!」

 

ここ数年、かき氷ブームですよね。

ブームだなぁと思ってはいたけれど、かき氷なんて全然興味なくて、氷飲むなら(かき氷って飲むって言いません?)ケーキとかプリン食べたいデブ気質。

 

でも、流行るだけある。

もう、ごめんなさいって感じ。

 

めちゃくちゃ美味しいです、かき氷。

 

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カメラ忘れて加工でごまかすって、あるよね。

 

ふわふわ氷につめたつめたのシロップ 、果実感がすごかったり、濃厚だったり、エ…エエエスプーマとかもう、工夫って天井知らずだなあと思わされる。かき氷屋さん、えらい。

 

もう9月もなかばだけど、あと何回食べられるかな。

 

 

 

追伸:

かっこよくありたいってことは大事だし、かっこつけてなんぼ、だと思う。

でも知ったかぶるのは、恰好悪い。

仕事中によく思うことです。

「相応」の圧力。

今週のお題「#平成最後の夏」

 

「あ、それでも今年に入って書いてたんだ。」

7か月ぶりのブログですこんにちは。

 

夏って、かつてのようなときめきはないんだけど(学生時代の夏って、どうしようもなくきらきらしていて、夏じゅうずうっとクラクラしてた気がするの)それでもなんとなく特別な季節。夏休みもなければ盆休みもないけど。

今年の夏はかき氷を食べてプールに行った。写真はあんまり撮ってない。

 

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10代のころ、ハタチというより25歳にはやくなりたいなって思ってた。

ハタチは成人だけどまだ学生だろうし、25歳くらいになるといろいろ自由そうだなって思ってた。

25歳をすぎたころ、はやく35歳くらいになりたいなって思った。20代後半、まだまだいろいろ、とらわれている感じがしてたんだと思う。

 

その35歳が目前にせまってる今のわたしはといえば

「え、次の誕生日で36歳じゃなかったっけ。」

 

年齢すなわちその人が生きた足あとという意味においてはそのこともとても大事に思うんだけど、だからどうだ、だからこうだって思考が、深いところでは全くなくなった。それが誰にとってもよいことかどうかは、ちょっとわかんないけど。

ただひとつ言えるのは、人から押し付けられる「トシソウオウ」なんてクソくらえ。

 

 

見ためなら、自分の目にも心にも違和感のないものを選べばいいと思う。心にも、ですよ。

んで、目に見えないことというか、暮らしとか生き方は、ほっておいてくださいとしか言いようがない。

過去は変えられる。

お題「最近知った言葉」

 

いまさらですが『マチネの終わりに』

k-hirano.com

読みました。

 

それで、この物話の中で繰り返し言われる「過去は変えられる。」について、これはある一種の感情を抱えている人たち(そんな人は、わりと多い気がする。)にとって、けっこう心づよい言葉になるんではないかなと思って、インスタで書き始めたらすごく長くなってしまって、しまったこれはブログに書くべきであった、と思った次第です。

なのでインスタと、連携してるフェイスブックにもだいたい同じようなこと書いてます。

 

過去は変えられる。

最近読んだ本から。ははあなるほどと思った。
わりと話題になった本だし、その本そのものに拍手喝采かと言えばそれほどでもないんだけれど。

 

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過去は変えられる。

未来は変えられるような気がしているけれど、結局どうなのかわからない。だってまだ未来というものを、そのものを見たことがないんだもん。だから何が変わったかなんてわからない。

ただ未来を変えたような気がするときには、うす曇りの今日や風にのる香りややふとした一言が、未来を変えたような気がする何かをしたという過去になるはず。

 

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過去は変えられる。

私たちはどうしても終わってしまったことにとらわれがちだ。それはだって過去のことしかわからないのだから当然なんだと思う。だけれども、過去は変えられる。変わっちゃうことも、変えちゃったこともあるかもしれないけれど、自分の意志ではっきりと変えることもできると私は思う。

意志だけではだめだ、と思われる向きもあるかもしれない。でも行動だけでは、それは「変わっちゃった」だと思うの。行動に意志を持ってこそ「変える」ことができる。

私はそう思う。

 

意味をもたない意味

物語の中では主人公のふたりが変わってしまった過去を何度も振り返りながら、しかし変わらなかった場合の未来(現在)を何度も想像する。

それは後悔でなく、単純な振り返りで純粋な想像でしかない。もしかしたら心の奥底にはあるのかもしれないけれど(そもそもそれがまったくない、ということが在りうるのかさえ、私にはわからないけれど)その振り返りに、その想像に、意味を求めなていない気がして、そこはとてもいいなあと思った。

 

私たちは、往々に、物事に意味を持たせたがりすぎる。意味のないものなどない。そうかもしれない。だけれど、たとえばその過去によって今が苦しいと思うならば、その過去に意味を持たせる必要はないのではないか。

過去は事実ではない。過去は自分の記憶の中にあり事実も含まれているが、その多くを支配するのは感情だ。そうであるならば、自分の過去が自分の今や未来を困難にしていると思うのであれば、その過去の意味を失くしてしまえばいいと思う。

もちろん事実は変えられない。しかしながらその事実というものも、絶対と言うには余りにも脆く不完全。なんですよね。

 

 

「過去は変えられる。」

つまりものすごくひらたく言うと、気の持ちよう、みたいなことなんだけど。

(違う?でも近いと思うなあ。)

とても心づよい言葉だと思う。

 

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写真は本文とはびた一文も関係ありません。

最近恋愛小説ブームなんですが、読んだ上で書いた記事がこれってもう完全に終わってんな、と。

週休3日。いいんじゃない、と思ってる話。

お題「最近気になったニュース」

 

秋になりました。

 

ぼんやりツイッターを眺めていたら

というツイートを見つけまして。

 

これこの、子どもを抱っこして公園にいる女性っつーのはなんともあざとい感じのする画ではあるんだけど、それはともかく「週休3日」いいんじゃない。と思ってるんです私。

 

「もし、お休みが週に3日あったら?」

だいたいこの問いに対して

 「あまり現実的でない気がする。有給を今でも全部使えていない。」

なんて答えるのは、ダメだと思うんですよ。ダメって言いきっちゃうのも悪いか。でも「もし~?」って聞いてるんだから、もしそうなったら、を考えて答えるべきっす。
(とはいえ、こういう人こそ週休3日が向いてると思うんですけどね。)

 

「もし、お休みが週に3日あったら?」

週に3日、3*4週間として月12日。…12日かあ。

やば、夢が広がりまくり。

 

休日のうち1日は別の仕事をしたい。

もし、もしもし本当に自分の会社が週休3日を採用したら、私はその内数日を使ってぜひ別の仕事をしてみたい。

週に1日だけで雇ってくれる企業やお店があるかはわからないけど、手間賃だけのお手伝いでもいいから他の仕事がしてみたい。週休3日になったら少しお給料が減るかもしれないけれど、その補填ということではなくって、自分がやりたくて自分のため(それは今している仕事のためになることや、誰かが喜んでくれること=自分が嬉しいことにのためというのも含むんだけど)になることをしたい。

 

それから、習いごとも増やしたい。いま月2回のレッスンをもうひとクラス増やして、3回にしたい。そのために勉強する時間も、もっととりたい。

単発のイベントやワークショップにも気軽に参加したいし、旅行もしやすくなりそうだし、料理やしばらくしてないお菓子作りも… いやほんと、夢が広がります。

 

自分で自分をデザインできるしあわせ。

 

みんなが同じことしてるわけでもないから、それぞれの会社それぞれの業務で、もっと言えば1人ずつが自分の働きかたをデザインできるようになったらいいなと思う。

それには自分が自分で自分をデザインできるようになるっていう努力も必要だし、お互いを認め合うっていう環境というか風土も必要。そして、それが出来ない人を排除せず助け合うということも。そのどれが欠けても成り立たないんだな。

自分のために、自分の働き方を考える。それが誰かに迷惑をかけないか、誰かが困っていないかに配慮する。困っている人には手を差し伸べて、困ったときには声を上げる。

 

なんて自由で幸せなんでしょう、って私は思ったんだけど、みなさんはどうですか。

 

ひとり飯。

Netflix野武士のグルメお題ひとり飯」 か。

 

ひとり飯、最高に好きです。

よく「みんなで食べるとおいしいね」とか言うんですけど、あれはあれでひとつの真実だとは思うんですけど、

 

ひとりで食べても、うまいもんはうまいよね?

 

と、常々思っております。

 

仕事の日は会社で食べることも多いけど、いっせいにお昼休みドン!という仕事ではないので、基本ひとり飯

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いま私は結婚していてパートナーがいるわけですが、お互い定休日ドン!という会社勤めではないため、休日は圧倒的に1人で過ごすことが多いので、基本ひとり飯

夕ごはんくらいは2人で食べようとか思うけど、思いつきでファスティングしてみたり、ひとり残業してみたりすればそれもなし。

 

でも、ごはん、おいしい。

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よく「どこまでなら "おひとりさま" できるゥ?」「えーアタシ、ムリ~」「アタシ、カフェならヨユー」「アタシ、牛丼でもオッケー」みたいな会話あるじゃないですか。え、ない?牛丼とかない?まあいいじゃないですか、あるとして。

 

私としては、どれでも必要に迫られればオッケー。

ただ、牛丼チェーンとかラーメンとかはイマイチそのマナーっていうか振る舞いがわかっていない気がするのでちょっと躊躇。(お上品ぶってるわけじゃなくて、縁がなかった。ド田舎生まれだし女子高上がりだし)

あとは、おされカフェでも高級すし店でも、予算と食べたいリビドーの折り合いさえつけばオッケー。

 

ひとり焼肉もひとり居酒屋も大好物。ひとりフレンチはまだ未経験だけど、チャンスがあればいつでも!フレンチ大好き。巷にはイタリアンが多すぎる。

 

だけど、気もつかいます。 

これはひとり飯に限らないけど、お店にはいるときは、雰囲気はどうかとか、混雑してないかとか(ながらくサービス業の人間なので、やっぱ混んでるときに客単価下げるような利用はしたくないのよね)、気をつかいます。

あと、がらがらのお店もちょっと躊躇う。

「今日は、どちらからですか?(ニコッ」とか愛想のいい店員さんやオーナーさんがいると、基本ひとりのときはひとりを楽しみたいので(邪魔してくれるな・・・)と思ってしまうのだな。勝手ですみません。

なので、先客がいてそこそこ忙しそうで、ピークタイムを外したタイミング。これ最高。それが外からわかるとなおいいんだけど、かといって外から丸見えもやだから… ほんと勝手ですみません。

 

というわけで、ひとり飯

きっと歳をとったり家族が増えたりしても、ずっと好きなままなんだろうな。

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お題ブログでした。

 

Sponsored by Netflix

地上波(民放)よりネットTVのほうが断然おもしろそうに見えるのは、隣の芝効果なんだろうか。

居酒屋で頼むもの。

前回の記事投稿から1か月以上経ちましたよ!と、親切なはてなさんがメールで教えてくれた。

今やもうあまりにも普通で鬱陶しささえ感じる(それも頻繁に)けれど、こういうことを初めて体験したときには、なんて便利な世の中になったのだと驚いたな。未来感。

 

で、きっといつかはてなさんかのメールも鬱陶しいと感じるようになるのだろう。けれど、今はまだ新鮮だ。

 

だから今日は、お題スロットをまわそう。

(無理やり感しかない) 

お題「居酒屋で頼むもの」

 

いまわたし、ジャガイモブームなのです。

ポテトサラダ、ポテトコロッケ、ポテトグラタン。

フレンチフライにポテトチップス。

 

もともと大好き芋子だけれど、今またむしょうにブームなんです。

そういうときって、あるでしょう。

 

 そんな私が居酒屋で頼むもの、いや、頼みたいものは

「じゃがバタ塩辛」

 

わー。

思い浮かべただけで、食べたーい!

 

北海道という土地、その魅力はよくわかっていないけど、食べ物はなんかもうやたら美味しいんだよね。魚もうまい。肉もうまい。野菜もうまいし、チョコまでうまいってどうなってるのよもう北海道!!!

そんな北海道では、じゃがバタだけでは飽き足らず?塩辛までのっけて食べるっていうじゃないですか。本当かどうか、北海道の人に聞いたことはないけれど、居酒屋のおやじがそう言ってたから、まあそうなんでしょう。

じゃがバタってだけで美味しいのに、そこに塩辛だもの人間だもの。うまい、うますぎる。あとカラダにはよくなさそう。でも美味しいんだもの人間だもの。

 

特にオチはないです。

ああ食べたい。

 

とりあえず、寝よ。

 

↓インカのめざめ、たべたい。↓

 

なぜ「ダサい」は、いけないのか。

なぜ「ダサい」は、いけないのか。

 

「なぜ日本の●●はダサいのか。」

ワールドワイドウェブの世界を泳いでいると、そんなエントリーを見かけることがある。


え、ない?私だけ?
ウェブとかフライヤーのデザインのネタ探しに検索しまくってるからかしら。

 

まあいいや、あるんですよ。

 

日本の… そうねえ、わかるような、わからないような。

これはジェンダーや世代間の問題を扱うときでもそうなんだけど、指ひとつで(正確には何らかのコストを負担して、だけど)世界と繋がれる時代に「日本だから」なんてカテゴライズする意味ってどこにあるの、と思う。

 

はい、脱線。

  

実際、ださいもんはださい。

「ダサい」って表記がもうすでにださい。なんでもかんでも平仮名にしていいわけじゃないけど、「ダサ+い」は、なんかもうむちゃくちゃださい。なんでもかんでも平仮名にしたがるのは自分の弱さだと思ってるけど、ごめんなさいゆるしてください、ださい。

そういうわけで、日本の云々はさておき、ださいものは世間に溢れかえっている。

  

「ダサい」ってなんだろう。

 ださいって、かっこ悪いとか、おしゃれじゃないとか。

じゃあ、かっこいいとか、おしゃれって、なんだろう。

 

www.weblio.jp

 

う。うんー、それって、「赤ってどんな色?」という問いに「青じゃなくて白じゃなくて緑じゃなくて黄色じゃなくて…」って答えるのと似てる気がするんだけれど。

野暮というのが答えっぽいけど、じゃあ野暮ってなんだって調べると「粋じゃない」とか書かれているわけで。


でも言葉って、そういうものかもしれないね。

あるひとつの言葉を理解するためには、他のいくつかの言葉を理解している必要がある。
もしくは見たり、体験体感したりしないと理解できない。
それはそれでいいよね。だって言葉って道具なんだもの。

 はい、また脱線。

 


「ダサい」とは、見た者に不利益をもたらす象形。

なんだかんだ言っても、ダサいにはカタチがあるような気がします。なのでとりあえず私は、こんなふうに捉えています。

 

そうなのよ、不利益なのよ。

ださいものって「うう、だせえ。」という感情だけでなく(これも辛いんだけど)「伝わらない」というアンハッピーな結果を生み出す可能性もあると思うのね。


「いやいや、多少ダサくても…」

こんな声が今にも聞こえてきそうですけど、

「目を惹けばいいんでしょ。」 -目を逸らしたくなるかもしれないよ?

「要は中身でしょ。」 -中身を見てもらうためには、どうするの?

「素人なんだから。」 -それならプロに頼もう。それもダメなら、勉強しよう。


私はデザインのプロではないし、ずば抜けたセンスもないし、こつこつ自学するような努力家でもない。

けれど、必要だなと思うから、やってる。嫌いじゃないし。

嫌いじゃないし、デザインのプロではないけど、その目的を果たすこと(モノを売りたいとか、ヒトを呼びたいとか)についてはプロでありたいと思っているから。

  

なぜ「ダサい」は、いけないのか。

かっこいいとかおしゃれとか、粋だとか、ルールがあるようでないものだし、どんどん変化していくもの。

けれど、ださいと言われること、ださいと認識されることによって生まれる不利益については、どういうカタチであれ何かを発信する立場にあるならば、認識しておかなければいけないと思うの。


いけないっつーか、認識しておいたほうがいいよ。

損するタネは、持たないに越したことないよ。

そう思うの。

 

それから、かっこいいものやおしゃれなもの、美しいものを作ったりするのって、楽しいよ。よいものに触れるって、幸せだよ。

自分で手を動かして作るのもいい。指ひとつでつながる世界のデザインをたくさん見て、やり方作り方を学んだり編み出したりして、すぐにはできないけどその過程もすごくおもしろい。

 

もしくは、世の中にはおおぜいのプロがいるから、そういう人たちと一緒に作り上げるのもとてもいいことだと思う。

お願いするあなたは「よいもの」を手に入れて「よい成果」を手に入れる。やったね!

お願いされた誰かは「収入」を手に入れて「よい経験」を手に入れる。やったね!

 

 

 

あれ、これってもしかして、
みんながハッピーになれる方法なんじゃない?
デザインって、すごいことなんじゃない!?

 

 

 

そんなことを考えた日。

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あの場所で、桜のつぼみは、もうぱんぱんに膨らんでいます。